ToMoNoRiの日記

発達障害のアスペルガーに悩む男

行動の選択の自由とポジティブなエネルギー

心ある行動に働く、気持ちのよさ。

自分が自分でいそしんで、前向きに動こうとするときに、他人の

視線や言動に苦しみ、今一歩動けないときに、なけなしの気持ちで

恐怖を払いのけて嘘をつくことの中身。

それは、生前からの約束ごとである、生きることへの悩みにたいして

がんじがらめになることの自覚に、本能が苦悶を描くことに、ながれていって

しまいやすい人の性だ。

自分でしまいなんだと、人生をある程度、予測しても、至る、四方八方に

人間なんだからしょうがないと、思いを決してしまいがち。

そんな、落胆の日々に、思いもよらぬ不幸が舞い降りるとて、自分自身の

心に問う、行動の在り方なんて、自分が決めるもの。

幸も不幸もいっそ混濁して、混じって生活していれば、目立たなくて済む

のに、自分ばっかと、その心を見ずにいることの生活感に、所詮、はったり

など通用しないといわんばかりの他人のずるさや羨望感に心が囚われきって

自分の生きがいがないのは、死の中身に潜在的にある、葛藤の予測に

かんして、人となりを気にするが故の、自尊心の危ぶみにみえそうな、

勘違いに思う。否応なしに人はいずれ死ぬ。なのに、自分はいかにも

生かされているという思いにすがることの意味に、決して裕福に感じない

何かを感じ取るのは、死の予感がある意味、人に行ってほしいことの

企み、自分じゃないことの受け売りの生の実感が、ある意味、対抗心

になって、他人に映ることの他ならぬ、耐えがたし憂鬱である。

嘘つくのは、他人に犠牲になってほしいから、やさしい気持ちで手ほどき

してでも、他人の死にざまに何らかの、生きているものから投じる

情念があるのなら、自分がこう生きたいと思うことの行動の奥には

常に他人との比較が待っていることの、燦燦たる決意の表れに見えて

もなお、人として意欲を見せたくなるのが、本心の明るみのありかなのだ。

自分とていずれ死ぬ、先行く人の気持ちを持ってしても、自分以外の

人生の心の哀れみにたいする、ぬぐい切れない、決意の矛先は、きっと

禁じ得ない人の惑いのようにみえても、きっと行動の在りかは、人の死に

たいして敏感に思うことはなくていいんだ。

人は古来から、さまざまなことが関係していることの心の囚われかたに

疑問を感じても、いっそ、このままなに事もなかったにように、いい

意味の幸せを講じても、誰も信じずに尽きた話のみたいに、きっと、心の

なかにある何かの楽観的観測の方法論を、自分の感謝にしている人の

自尊の中身に、疑えない自分の心の在り方を投じて、感謝をいとまない

といえる行動の選択の自由を心の脈打つ自分のポジティブなエネルギー

にしてきたのだったら、今なお、自分の行動の好き嫌いは感じることが

あっても、損得の行動の波に押されるだけの、アンフェアーな戦いが

人にどう映っているかの心の本音の感じ方が、負に落ちていくことよりも

冴えない自分のアイデアを具現化するための行動のリスクをあえて恐れない

自分なりの感じ方に変えていきたい。