何かを教えてください。
なんでも結構です。差し支えなければ、あなたの本当の友達になれそうな
ことを、教えてもらえれば、この上ない幸せです。
僕が僕である、存在の意義に対して、何か訴えかけるような、神秘のない
何かを教えてもらえれば。
私は貴方に教えてあげたい。
基本的な満足で、何かを満たすことの何でもないことに、人は、孤独を分かち合えず
に入れるようなソフトな関係は、お互いの何かを知ることよりも、なにかを
そっと教わってみたい気がします。
教わったその何かを、お互いの共通の秘密にすべきか、どうかの事柄に
してしまうのは、教わったことのない、あなたの秘密だからかも知れません。
でも、それが、教わった私の心には、なんだか、やるせない気持ちの起こり
を芽生えさせ、もっと、教わってみたい気持ちにさせるかもしれません。
そんな、事柄に、自分ができることの価値観のみいだしかたに、教わった
事の歩みのような、慈愛の気持ちが生まれれば、きっと、そのことが大切
にできそう事柄だから。
多くを教わる気はしません。
些細なことを知るための情報では、意味がないからです。
ささやかなことでもいいことを教わるか、悪いことを教わるか、
悩みそうです。
幾分か細分化された、パーツのようなことでさえも、意味ある深みに達する
まえに、その意味をみいだせなくなりうるかもしれません。
想像できるすべてを教わるよりかは、今、抱いていている、想像の原点を
教わることに期待します。
いっそ、ずっと、一緒に考えてたいと思うからです。