巧みに生き抜くことの術は、すべからく自分の手の内の中の見えない部分に迷うもの。
それは、今一歩届かない夢の様な、自分の利口な手口が破綻するときのようだ。
自意識過剰に自分の誇らしい一面だけが見せられるように、うまく自分を演出する
ことの悩みの無さは、いかにも、自分がそう思っているだけの、愚か者に近いの
かもしれない。
今、一陣の風が吹く、そんな時に限って、自分が今、起こりえる何かの行いのなかで
自分だけが、利口になって、それを感じれると思い取ると、なんでもない、時折吹く
風のように感じていき、理由も理解もできないほどに、朽ち果てていく。
そんな想像のなかで、己の意味を知っていくことの大事さを忘れて、感ずるまま
生き踊る様の幸運の女神は、あっさりとした、ムードで、その出来事を忘れ去る。
自分だけが取り残されたような、がんじがらめに気づかずに、打ちのめされたまま
死んでいくようなもの。
デスゲームになる可能性もあることのリスクばかり、気を配り、周りにうまく溶け
こませる、潜在的な嘘の感化に、ほっとけない人のように、装うことの恥の無さ。
そんな、呪いにもならない、自分への戒めは、人を裏切ってはならないということを
まわりにアピールすることのなんでない、利己的な賢さになる。
だからってなんなのか?その意味に問われて、答えうる術は、だからこそそうなんだ。
あなたの周りに、そんな気配を感じたら、申し訳ないように、利口者の口封じなど
無理なことを理解してほしい。
そんな、期待にもない人の無碍なお願いに感じいずとも、向こうのほうから、忍び寄る
自分とは、まるで、理屈が合わないひとの悩みに声を傾けていくことが良いのかも。