感じ方のうちで、自分がなやんでいることのモラルという名の文字のいがみ。
常識のなかで、自分が圧倒的価値観を見いだせることのできる、これだ!という
深みのある実際の悩みなんて、今、朝おきどきのときのなんとなくボヤーとしている
文句の付け所がないほど、すっきりしている自分の形の有無なんてまるで感じないとき
のように、さほど自分が思惑どうりに進まない仕事の中身が、なんて味気ないとおもう
ときの、ほけーとした感じ方が、すっきりしているときに感じる、なんてことないなと
感情が落ち着いているときの、自分のモラルの有る無いは、きっと、モラルそのものが
言わんと知れたほど、情けなくないときの自分の有りようの様が、いたたまれない人の
痛みを感じ入ることのない愛情の欠点のように思えて、自分の病み上がりの様が人から
みれば、いたたまれないかのように、自分が恥ずかしいと答えのなかの悩みにふんじ
ばって、こらえているだけの、息の上がり方に見えて、憶測することの深い察し方が
ありふれてくることに、悩みなんて感覚のように感じていても、ありえないかのごとく
振り払うことの自覚のありかにもう一回自分をたちあがらせてみることの、あきらめの
ない自分のほめ心になって、今以上の自分に期待できる、ほのかな、本気の気持ちに
なってくる。
それが、継続的に追っかけてくる妬きたいきもちになって、ジェラシーの心が吹き飛ん
で、人として平常心で居れることの痛みのなさが、僕の本望に思う、静かで穏やかな
日々になってくる。