ひとは愛されたいときに、心の隅っこに寂しさを感じて、いつ何時でも
綺麗に思いたい人の愛に飢えるもの。
自分とはなにかしら愛される資格を持っているから、冗談まじりにでも
関わり合いのうちに生まれる愛情に不安にならずにいれる、愛に極端に
わがままになり、悲痛な叫びを聞く。
「お前はいかほどの愛に飢えているか?それは、孤独の闇にいる
もう一人のお前がさながらの恐怖を知っているからだ。
その恐怖とは自分とは情けに甘えて生きていることの代償として
そのお前の孤独の悩みを見てせせら笑うもう一人がいるからだ。」
僕のかんがえとして、人は大いに悩みながら小さく愛されたがるもの
と思いみても、結局は大人の考えすぎることの、大いなる過ちにたいする
潜在的恐怖心が、こんなにも、愛されたいのにもかかわらず、人の大いなる
振る舞いの前に足がすくんで、自分のわがままとして、愛されることを拒んで
しまうことの何かに、自分が意味深く隠している、本心のなかに愛は眠っている。
それを、人に悟られまいとして、立ちふさがる自分の弱さを感じてもなお、
わがままに愛されたいと思いえる、自分の感動の涙でもいい、ひとにそれを
自由に見せてもいいのだ。